東京YMCAは永久に不滅です!
東京ワイズメンズクラブの皆様、いままで本当にありがとうございました。東京YMCA総主事としての8年間、そしてYMCA職員としての39年間を終了しました。この39年間を振り返ると、人生の節目ごとに神様が特別な方々を与えてくださったことを実感します。40年前、私は一般企業に就職しましたが、厳しいノルマに耐え切れず退職を決意し、親友だった古賀博先生を訪ねました。すべての始まりはここからでした。もし古賀先生がいなければ、私はこの場にいなかったでしょう。古賀先生の紹介で、早稲田教会牧師の上林順一郎先生に出会い、さらに上林先生を通じて、日本YMCA同盟総主事も務められた塩月賢太郎さんをご紹介いただきました。最近、書庫を整理していた際、採用当時の履歴書や面接記録が出てきました。恐る恐る面接官の評価を見ると、「学生気質が抜けていない」「生意気そう」「言葉遣いがなっていない」など、散々なものでした。正直、よく採用されたものだと思いましたが、そこには上林先生と塩月さんの推薦状がありました。塩月さんの推薦状には「ボランティア精神旺盛な好青年で、必ずや貴YMCAの発展に貢献することでしょう(一回しか会っていませんが)」と書かれていました。なんとも正直な方です。こうした偉大なお二人の推薦状のおかげで、なんとか東京YMCAに就職し、英語専門学校に配属されました。生意気で尖っていた私は、当時の主任主事だった手島毅郎さんから「菅谷くん、ここは駆け込み寺じゃないんだよ」と叱られたことを覚えています。「キリスト教だから寺じゃなくて教会では?」と言いそうになりましたが、ぐっとこらえました。そんな中、北海道YMCAから出向で来られていた新保秀実さんに優しく、時には厳しく社会人としての指導を受け、徐々に仕事を覚えていきました。公私ともにお世話になった新保さんがいなければ、私はYMCAを辞めていたかもしれません。15年間専門学校を担当した後、とちぎYMCAへ転勤となりました。当時のとちぎYMCAは設立20年ほどで、創立メンバーが現役で運営を担う、いわゆる「会員が支えるYMCA」でした。ここで、私のYMCAに対する考え方が一変しました。YMCAは単なる職場ではなく、「隣人愛を実践する場」であることを実感したのです。このことを象徴する十河弘さんの「涙の話」は、今でも心に刻まれています。「どんなに科学が進んでも、一度流された涙が悲しみの涙か、喜びの涙かは分からない。しかし、YMCAは分かるんだ。なぜなら、YMCAは涙を流す人のそばにいるのが仕事だから。そして、YMCAのすごいところは、悲しみの涙を喜びの涙に変えることができることなんだよ。」残念ながら、十河さんは3月3日に天国へ召されました。