菊の花の歴史
  今年の夏も異常気象という怪異が現れた。語るに落ちるが、私自身も、チャリティーランという恒例の行事に苦しんだ。襷を繋ぐのは重圧である。参加50チームの最下位で、何とか足跡を残した。この頃、ふと見上げると、なじみの「うろこ雲」が漂い、空が透明で高い。秋の訪れ。地上では「菊の花」。菊人形などを見ることも少ない近頃だが、旧暦の9月9日は「重陽の節句」として盛んに祝ったものである。今の暦では10月7日。この「菊」は、日本にはない花で、中國から奈良時代の終わり頃入ったらしい。だから、音の「キク」は、中国音(漢音)であり、日本語としての訓読みはない。仔細は不明だが、この花が高貴な花として歓迎されたのだろう、平安末期頃には、天皇家の紋章になった。即ち〘菊の御紋〙である。大陸と天皇家の関係の深さを思わせる。中国と朝鮮半島と日本。歴史の中で幾度となく戦争をしてきた。と同時に、相互の文化的交流の面でも深い相互理解を積み重ねてきた。ひらがなは漢字を基にできた。日本が戦争に負けた1945年、中国政府代表の蒋介石は「決して日本人民を敵とはしない」と言って、中国大陸に残った二百数十万の日本軍将兵ほぼ全員を短期間の内に故国に返した。その一方で、50数万の日本兵をシベリアに連れ去り、強制労働に酷使したソ連軍。私のごく親しい友人に、今97歳で、元気にバイオリンを弾き、時にはアコ-デオンまで奏でるシベリア帰還兵だった人がいる。抑留時代の事を一切話そうとはしない。このあまりの違いに胸が熱くなる。

2019-09-18
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2019-10-05
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