新潟クラブの解散について思うこと

        持田 二郎
 東京クラブは2001年2月6日をもって創立70周年を迎えます。来年の2月17日に東京YMCAに於いて70周年記念式典を行うことになっています。
 過去を振り返りますと東京クラブでは多くの先輩達のワイズに対する情熱と働きと努力によって、17クラブの子クラブをチャーターしております。チャーター順では1.仙台、2.甲府、3.東京山手、4.札幌、5.東京武蔵野、6.東京江東、7.東京むかで、8.千葉、9.東京グリーン、10.埼玉、11.東京多摩、12. TIFY's、13.所沢、14.松本、15.会津、16.新潟、17.川越となります。この17クラブのうち活発に活動しているクラブ、停滞したり後退しているクラブ等その後の活動には大きな開きが出来ています。
 その中で一番の悲しい出来事は、今年度に入って7年の歴史を持つ新潟クラブの解散問題であります。その本当の事情はクラブ内及び関係者にしか分かりませんが、一口では言い表せない程大変難しい複雑な問題が横たわっているのです。東日本区の定款の問題、クリスチャニティーの問題、人間関係の問題、YMCAの無い地域での心の支えの問題、ワイズ認識の問題等々であります。
 この問題は親クラブ及びチャーター発起人にとっては勿論ですが、全国のワイズメンにとっても大変悲しいことなのではないでしょうか! このような非常な状況の中で、新潟クラブの皆様や、ホストクラブ、いや設立実行者である私も大きな心の痛みとなっております。
 しかし今回の件ではワイズメンの中心的人たちの中にさえ、この不幸な出来事を、対岸の火事的発言をしたり、酒の肴にして大いに盛り上がったりしているなどの話を聞く度に、言いようのないやるせない気持になってしまいます。ひとり一人に十分な意を直接伝えることは不可能ですし、そうかと言ってこのまま放置してよいものかどうか、迷いに迷っているのです。
 多くの人間は人の不幸は最大の喜びまたは痛快であるように言われますが、ことワイズの皆様には、この様な事はあってはならないものと考えております。共に喜び、共に悲しむワイズの精神はどこに行ったのでしょうか。
 私はワイズの歴史の中で、所沢、松本、会津、新潟、川越と5つのクラブチャーターの責任者として苦労を重ねて来ました。また多くのワイズメンの獲得、YMCAの賛助会員、維持会員、寄付等、人には言ってはいけないことですが、多くの働きをして来たつもりです。その中でクラブにも発展するものしないもの、会員としても成長した人、退会した人様々です。
 当初私は入会の時から、YMCAに忠誠を尽そう、労をいとわずワイズダム発展のために捧げ尽そうとの理想を持って力を注いでまいりました。特に新クラブの設立には、会社を休んで1泊2日の出張をしたり会合を重ねたり交わりの時を持ったり、経費は全て自分もちで行なって参りました。その苦労話を語った事は一度もありませんでした。
 しかしこの度心ならずも伝聞したところによると、複数の、しかも区の中心的な人達にさえ、私達を親が子を産んでも少しも育てないとか、ほったらかしにしているとか、作った人および作ったクラブの責任ばかりを追求している人がいるというのです。ではその人達はクラブを作った経験があるのでしょうか? 何十人もメンバーを獲得したのでしょうか?
 自分で立派な手本を見せてくれるなら解りますが、何もしないで人の責任論ばかりを振り回すのであれば、説得力はありません。こんな風潮が蔓延するようなことになればアクティブワイズは希望を失って、奉仕をしなくなると思います。最近の私もそうなりかけています。
 どうか智恵のあるワイズの皆様、ひとり一人の働きを共に喜び共に助け合って前進するものとさせて下さいますように、心から願うものであります。