露 崎 伊 三 郎 さ ん を 悼 む


国際親善に活躍された露崎君

元国際会長・熱海グローリークラブ 竹内敏朗

 台北ワイズメンズクラブ創立50周年記念式典には昌枝メネットはじめ多数の貴東京クラブの皆さんの介護を頂き参加され、前夜祭では車椅子姿でIBC締結はじめ数々の憶い出を熱情をこめて話されたことが印象に残っております。70kg以上あった体重も長い闘病生活で40 kgとなり、頬はこけ両眼は窪み見るも痛々しいお姿でしたが、熱願の台北クラブ記念式典にも出席したという満足感とよろこびがひたひたと伝わってまいりました。9月箱根に初秋のドライブをしたときも、なんとしても2006年2月25日の創立75周年記念会までは生きていたいものだと度々話されていました。
 東京武蔵野ワイズメンズクラブ時代から40年余長いお付き合いをさせて頂きましたが、その間1966年ハワイ大会、1974年ワシントン大会、1975年熱海大会と当時毎年開催された国際大会にも常に出席され、多くのワイズメンとの交流・国際親善のため昌枝メネット共々活躍されました。当時山手ワイズメンズクラブ在籍の辻村克己君が2代目部長、竹内が3代そして露崎君が4代部長に就任、新クラブ設立・会員増強のためにも大いに活躍され、エルマークロー賞を授与された事も特筆すべきワイズ歴でしよう。常に訪日される多くの海外からのワイズメンをホストされ、多くのワイズメンより露崎ホテルと云われたものです。
 私達は生前あなたから頂いた多くの憶い出を大切にいたします。召天されたあなたの上に特別のご加護・祝福が頂けますように。献盃!



一番若い露崎さん

辻村克己

 露崎さんとはワイズ南東部の初期に熱海の竹内さんと共に年齢順に部長を勤め、それ以後このトリオが40年もの深い付き合いを重ねました。設立間もなかった沼津ワイズを活気付けるため露崎さんが先頭に立って南東部のメンバーと共に御殿場の自衛隊演習地に山菜採りに行ったことから始まり、2003年ヒロワイズがホストしたハワイ地区大会に露崎夫妻と私ども二人で参加したことなど思い出はつきません。
 露崎さんはワイズにどっぷりとつかり、国内国外の大会、部会に出て交友の輪を広げ、東京ワイズでは一番顔が広かったと思います。トリオの中で一番若い露崎さんが亡くなったことは淋しい限りで、台北やヒロのワイズからもお悔みのメッセージが寄せられ、葬儀では元国際会長として竹内さんが弔辞を述べられてお別れをしました。


AN EULOGY

Henry and Janet Siew, AT and AP of Asia Area

My Family (Siew) and the Tsuyuzaki Family has been closed families for many years perhaps more then 20 years.
Isaburo's demise has saddened me and my family.
Life is like a train journey and it started some twenty years back. It was the beginning.
Our families sat in the cabins, Isaburo had been very quiet since. Was it a "language barrier" between us? This barrier did not hinder us of our friendship, love and care for one another.
Isaburo was always smiling and humble in his ways.Whenever we alighted from the train journey to attend conventions, our handshakes and embraces reinforce our friendship, faith, love and care for each of us in the families.
The train journey continued and all of a sudden Isaburo wanted to alight from the train. It was the least expected of him to leave us at this station. We have to accept because it was God’s Calling and the train station was God’s Station.
Farewell Isaburo! The train will come back to this station and we will alight to join you in the house of the Lord that you now dwell.


[DBC合同例会でNHKを見学し、体験コーナーにて]

弔電より

○生前あなたから頂いた数々のおもてなしは終生忘れることが出来ません。八月に自宅にお見舞いに伺ったのが最後の別れになりました。遥かな地よりご冥福をお祈り致します。
(台北クラブ・元アジア会長 趙栄發)
○悲しい限りです。ご夫妻で永年に亘りワイズに奉仕され、私たちが訪日した折にもお心遣いをいただき、感謝しております。ご遺族の上に神様の豊かなお慰めがありますように。
(ハワイ・ヒロクラブBen and Lily Inouye)


露崎伊三郎メンの略歴

1926年(大正15年)4月24日生れ
1960年6月 東京武蔵野ワイズメンズクラブ入会
1972年7月 ワイズ南東部部長
1973年6月 エルマークロー賞受賞
1974年2月 東京ワイズメンズクラブ転入会
2005年11月20日 逝去(79才)