BendigoY's物語

          副会長  山中 秀男
 オーストラリアは面積の広大な土地にタスマニア島を入れて7つの島しかない。
 英国からの移民が多く、言葉もロンドンの下町言葉 Cookney Englishが下地になっている。 a → aiとなり、 OKオーカイ或いはオッカ、Rain(雨)ライン、Snake(蛇)スナイク、Potate(ポテト)ポタイトと言う。

Bendigoの歴史
 Victoria州の真中に位置し、1851年に金鉱が見つかり、サンフランシスコのゴールドラッシュ(1849年)と時を同じくし、中国人を含む一攫千金を夢見る人が世界中から集まった。100年間はゴールドラッシュに沸き、最後の掘削機がスットプしたのは1954年。その間2500万オンスの金が掘り出され、地中には現在も相当量埋っているが、コスト的には合わないようだ。
 Bendigoの名は、当時世界最強のボクサー、英国ノッティンガム出身で鉄のこぶし(iron fist)を持つ男として恐れられていたWilliam Bendigo Thompsonに由来する。ゴールドラッシュの町では腕っぷしの強いのが王様だ。荒らくれ男の中でも一目おかれていたのが羊飼いで、いつしかBendigoとあだ名され、近くを流れる川までBendigo creekと呼ばれた。
 Bendigo creekを中心に、町の議会、裁判所が建てられ、ドイツ移民の建築家グループが街造りと建物を取り仕切っただけに、中世ヨーロッパの面影を映し出している。今ではcreekを暗きょにして辺りを公園化し、Bendigoのland markになっている。
 サンフランシスコのゴールドラッシュと同様にBendigoに最初にかけつけたのは中国人で採掘夫があまり多かったので、この連中相手の商人、レストラン、寺院、医者、弁護士、薬草屋まで押しかけ、おまけに阿片、バクチも横行し、一時手を焼いた時期もあったが、ゴールドラッシュの終わりと共に、波の引くようにメルボルン、シドニーへと移り住み、現在中国系のオーストラリア人は微々たるものだ。
 しかし、文化と伝統だけはしっかり根付かせBendigo市を気取って言う場合には必ず city of Gold and Dragonと呼んでいる。

Bendigo Y's men's clubの60年
 Bendigo Y's の歴史は10年前に出された。The first 50 yearsと今回出版されたThe past 10 yearsにくわしい。チャーターは1939年(昭和14年)9月29日当時サービスクラブの中で最も勢いのあったのがViking clubでこれをBendigoにも設立しようとしていた若者が目的を達せずにMelbourneに移り、そこでY's men活動に深く関わり、Bendigoの女性と婚約していたので、Bendigoに来る都度、昔のメンバーに働きかけ遂に1938年(昭和13年)2月3日 BendigoYMCAで設立総会を開くまでに至った。
 第二次世界大戦中、中心メンバーが次々と兵役に取られ、オーストラリア、ニュージーランドの全てのY'sがそうであったように活動が低下し、Bendigoも5名迄に減ってしまった。
 活動を盛り返したのは1945年以降で資金集めのために色々の事をしてきた。Working bee(勤労奉仕) ぶどう狩り、トマト狩り、Card nights (ブリッジ・パーティ) コンサート、Picture nights(絵のオークション)Easter Ruffle Ticket (イースター富くじ)Club meet fortnightly(月2回の会合)一番大きな行事は X'mas Tree sale と Easter Book fair でこの時には一万ドルずつYMCAに寄贈している。X'mas treeの方は最初広大な土地を100ドルで借り、木を1,000本ずつ植える。5年で2mになる。相場30ドルのものを半額の15ドルで1,000本売る。売上総額15,000ドル、5,000ドルが苗木代で10,000ドルをYMCAに寄贈出来る。もう一つがEasterのBook Fairだ。一年かかって不用の本を会員が集めておく。Easter当日、市主催のBendigo Easter paradeに参加し、その解散地点でバザーが立ち、Y's の book shopを出す。

元国際会長アーサー・コウリング氏
 1991年アーサー・コウリング氏は国際会長に選出され、日本でも彼のエネルッギッシュな活動は良く知られている。Bendigoに滞在中彼の家にホームステイさせていただいた。彼のY's roomを拝見させていただいた。インターネット2台、クラブ国内,国際のコミュニケーションは全てインターネットだ。10畳程のY's roomにはペナント、クラブ その時々のネームカード、リボンが天床迄飾られている。
[真中がコウリング夫妻、右はベーカー会長]
 1992年にはY's国際会長の功績が認められ、オーストラリア政府から Australia Medalが授与され一際輝いていた。思い出話に昔のY`sはジョギング会(Fun run)、Clean up Australia(街をきれいに)もしてきた。家を建築してYMCAに寄贈したり、売って資金にしたりした。メンバーの大半は日曜大工を得意とし、建築家もいたりして本格的なものを造った。当然 product liability(製造責任)の問題も出てきた。Victoria州政府はボランティアクラブ、小供会あらゆるNon-profit Organizationを法人化して有限責任にし、個人に無限責任というようなべらぼうな事にならないように提言し、Y`sも当然その線に沿って法人化され運営されている。

Bendigo60周年記念パーティー
 アーサー コウリング夫妻と会場のBendigo YMCAに車で行く。広々とした林の中に、崖を利用して2階建てであるが、100台駐車でき、上から見る限りでは平屋に見える。6時30分開会、30分前、get acquainted cocktail party(食前のカクテルパーティー)が玄関ホールでにぎやかに始まっている。料理は仕出屋、今日の会合のため20名程のコンパニオンが派遣会社から来ていて酒やスナックを勧めてくれる。アーサーが誰かれなしに紹介してくれる。7時きっかりBendigo市長の到着と共に会場に入る。体育館装飾は全て会員の手作り。横断幕に「60周年ダイヤモンド婚おめでとう」『Commemorating our Diamond jubilee 60th anniversary Celebrating 60years of service 』と祝してあり、その下のステージには会員が丹精込めて育てている盆栽、ラン、花が所狭しと飾られ、出席した会員同志自慢し合い、盛り上げている。パーティーの始まりは女王とオーストラリアへの乾杯でスタート。先日の国民投票で共和制より立憲君主制の継続を選んだ背景も分かる。「Toast to the Queen and Australia - Hail the Queen.」
[左はBendigo Y's会長ブライン・ベーカー夫妻、右はビクトリアYMCA総主事夫妻]
 オーストラリア各地からのクラブ、以前在籍した会員の紹介があり、食前感謝(Grace)があり、オントレーにかぼちゃスープ、豚フィレのマリネが出て、メインコースはチキンのフィレミニオン、これの終わった所で招待客、YMCA、Y'sの地区代表、チャーターメンバー(89才の最長老)ブラザ−クラブの紹介、ここで小生第一回目のお披露目をする。2回目の乾杯はここで紹介された方々にである。
 メインコースに続いて野菜とパスタが出る。ここで、初めて祝辞が始まる。オーストラリア地区理事、Bendigo市長、と続き3番目がブラザークラブ東京Y's代表となった。若きBendigo市長がアドリブで大いに沸かした後だけに、用意した原稿が読みにくくなってしまった。祝辞はブルティンに載せていただくことにして、こちらも即席で
@ 60周年は還暦で、人生一巡して2周目に入るスタートの年。
A お祝の品は東京Y's吉岡メンの取扱い商品で壁掛けにもなるが、大風呂敷といって広大なビジョンを展開するシンボルにもなる。
B 日本ではプロ野球が盛んで、私の郷里名古屋ドラゴンズが11年振りにチャンピオンを目指して苦斗している。是非City of Gold and Dragon のお力を借りたいとやった所、一極力強い柏手をスタンディング・オベィションでいただいた。

 このかいあって9月30日ヤクルトに5:4逆転勝ちして星野監督の胴上げを神宮で見ました。
 ちあきメネットに当日朝から並んでチケットを買ってもらいました。  感謝!

 ゲストの祝辞の終わった所でYMCA総主事の発声でBendigoY's メン、メネットへの乾杯、続いてBendigo Y's 会長ブライアン・べーカー氏の謝辞があった。
 日本と逆の順序ながら、60周年パーティーの趣旨、流れとして自然でさわやかな雰囲気だ。アニバーサリー・ケーキ・カットも会長が行ない記念品の贈呈、メネット会からメンの方にメンの新築したYMCA施設のキッチンに大きなオーブンのプレゼントがあった。閉会のお祈りがあり3時間にわったたパーティは、忘れえぬ印象と暖かい余韻を残して終わった。
翌日の日曜礼拝はBendigo Y'sの牧師の教会で、Bendigo Y's 60 anniversaryと銘打って行われ、礼拝の中で60周年を迎えお世話になった人、団体の名を挙げましょう、と牧師が呼びかけ、口々に叫ぶのがプロジェクターに映し出された。東京Y'sメンズクラブが出たので、すかさずBendigo Y's , Y'sメネットとお返ししておいた。Brother club 名が続いて出た。Millville Y's (ニューヨーク州)Detroit Y's(ミシガン州)Nagercoil(インド)であった。

先方のブリティンに載せていただいた祝辞
It is agreat honor and a pleasure to be given the privilege to be here on your 60th anniversary of the Bendigo Y's Men's Club.
In Japan. we have a term to mark 60th successful year in existence by the word "KANREKI" meaning the units of 10 kan evolving in 12 full cycles of the Chinese traditional astrology. The series of the evolution coming to a complete cycle is 10 years multriplied by 12 cycles which is 60 years. Traditionally when a person reaches their 60th birthday, family members and friends gather to celebrate the occasion in a very special manner. It is considered as a another round of events in life, a new cycle, a new beginning in which a person is reborn.
We celebrate with Syou-Chiku-Bai meaning Pine, Bamboo and Plum.
The evergreen pine represents longevity, Bamboo which sprouts with new buds represents youthfulness, Plum is the first flower that blooms after the long cold winter.
The bride's costume is designed with these three symbols. Today, the Tokyo Y's Menettes Club wishes to mark the 60th Anniversary of the Bendigo Club with a dedication of the traditional wedding kimono's cloth to Bendigo Y's Menettes club.
As a formal gift, we have brought along what we call "FUROSHIKI". It is traditionally used to wrap and carry items but it can also be hunged as a decoration. The former President of the Tokyo Y's Club, Mr. Yoshioka has selected the kimono and the gift to mark our mutual friendship. We hope you will enjoy the items that we have brought along.
Finally, on behalf of all the members of the Tokyo Y's Club I would like to thank you all for inviting us today on this memorable event.