2月例会CS・TOFナイト報告

書記 黒岩恭浩

 2月例会は学士会館において定刻に開始された。開会点鐘、ワイズソング、ワイズの信条に続いて松田副会長による聖書朗読と祈祷があった後、ゲスト・ビジターが紹介された。長澤弘氏は3回目の出席となり、3名の若い方達の出席もあった。諸報告では、会長から「ユースの会の設立について」、上原夫妻から「鈴木謙介氏の逝去についてのご挨拶」、EMCから「長澤氏の入会オリエンテーションについて」、BF・EFから「鈴木謙介氏記念EFについて」、CS・TOFから「諸献金について」、IBC・DBCから「東西交流会でのDBC交流について」などの報告があり、世田谷クラブ小川会長からも挨拶があった。
 Happy Birthday! Happy Anniversary!に次いで次期会長・副会長の選挙投票が行われた。興津担当主事からはYMCAの国際協力活動についてビデオによる説明があり、地道な国際協力活動の支援につき格別の協力要請があった。佐藤(一)メンによるスピーカーの紹介後、NCC国際部門担当幹事の真野玄範氏から『私たちとパレスチナ』と題するスピーチを聴いた。真野氏が3年間ジュネーブのワイズの国際本部に出向していた間にかかわったり、また現在も感じていることとして概略次のように話された。 


 パレスチナの貧困の現状については、インドやバングラデシュよりも貧困層の人口比率が高く、最近特にひどくなっている。数字だけではなく、貧困の質が問題だが、パレスチナ人は人間が住むに適さないところに住まわされており、なおかつ物価は高い。パレスチナの自治領はヨルダン川の西岸地区とガザ地区だがその中にもイスラエルの入植地が無数に気づかれてパレスチナ人は分断されているため、自由に行き来が出来ない。主要なところにはチェックポイントがある。困難な状況は1987年に起こった第1次のインティファーダで初めて欧米人が認識され、人権侵害の観点からの取り組みもなされるようになってきたがなお世界の多くの人々には認識されていない。1993年のオスロ合意があったが、実態は入植地も減らず入植の人数はむしろずっと増えている。2000年9月には第2次インティファーダが起き、更に2002年から分離壁が出来始め、パレスチナ人の住んでいるところを囲んでいったので、いくつものチェックポイントを通らないと生活すら出来なくなった。しかし、なかなか簡単には通してくれない。外出禁止令も頻繁に出される。世界教会協議会ではこうしたパレスチナ問題に取組んでおり、チェックポイント等の現場に立ち会って状況を世界に発信しているが、深刻さは一般には認知されていない。パレスチナ人の地域的なアイデンティティは何かと聞けば、「我々はアジア人だ」と答えるが、YMCAやキリスト教界ですらパレスチナをアジア地域に入れて考えてはいない。 見方によってはイスラエルはヨーロッパの最後の植民地とも言えるのではないか。民族対立や宗教対立という側面が強調されがちであるが、歴史的、政治的な利害や対立の中にパレスチナの人々の基本的な生きる権利が剥奪されているという現実を国際社会はもっと認識する必要がある。日本のキリスト教界は戦後戦争に反対する立場をとってきた歴史があるのだからこの問題の解決にユニークな発言をしていく路があるのではないかという希望を私は持っている。
 スピーチの後、次期会長・副会長の選挙結果が発表され、松田メン、茅野メンがそれぞれ選出されて決意表明がなされた。最後にスマイルが集められ、CSの再アピールがあり、YMCAの歌を斉唱して閉会となった。
[出席者]
メン=上原,興津,河田,黒岩,郡山,佐藤(一),佐藤(茂),庄司,高橋,田中(博),茅野,辻村,中村,長谷川,人見,細川,松田,松本(良),持田,山中,山本,吉岡(22名)
メネット=上原,黒岩,郡山,田中(直),辻村,松田,山中(7名)
ゲスト=真野玄範,長澤 弘,佐山浩子,桃野聖也,大石絢子(5名)
ビジター=小川圭一(東京世田谷)(1名)計35名