2006年10月アピール: 神の見えざる手

IBC副委員長 高橋 章

 アダム・スミスは、自愛心をベースとした市場の論理を、「神の見えざる手」という表現で説明した。『国富論』第四篇第二章にある彼の説明を要約すると、わたし達は自分の生活を賄うだけで手一杯であり、社会公共の利益(公益)を追求する意図もないし、どの程度それを促進しているのか分からない。さらにわたし達はあらゆる行動を行う際に、自分の利益を絶えず考えている。しかしながら、わたし達は自分の利益を追求することが、神の見えざる手(invisible hand)の導きによって、わたし達が社会の利益を増進しようと努力するよりもかえって効果的に、社会全体の利益を促進することになるのである。わたし達のような普通の人間は、分業を通じて自分の能力にあった職業につき、自分や家族の生活向上のために一生懸命に働くべきなのである。そうすれば、努力と倹約により自分達の生活も豊かになり、ひいては社会の富の増進にも貢献するというのがアダム・スミスの考え方であった。
 もっとも、アダム・スミスが考えた「神の見えざる手」を実現するには、わたし達の中にモラル(道徳・倫理・慣習)というものがなければならない。
 しかし、社会を営む人々がこの道徳感情を失うならば、彼の発明した神の見えざる手は有効に機能しない。道徳感情があってこその神の見えざる手なのである。