努力実った70周年記念会



礼拝に続き例会・講演…と細川メンの司会は淀みなく   礼拝説教に奉仕する古屋メン

親クラブ(大阪)北村会長の乾杯            挨拶に感慨こもる持田実行委員長


70周年記念会を終えて

        会長 山中 秀男
 70周年記念会では、持田委員長を始め、皆さんの素晴らしい働きで立派に終える事が出来、感謝いたします。
 後半の方針としてはキックオフで決めた月別のテーマを実施すると共に、2月度の役員会で次の検討委員会をスタートさせる事を決めました。
 (1)ユースインターン制度の導入(委員長:菅生宏一)
 (2)NPO資格取得(委員長:中村鐡五郎)
 早急に成案を提出して頂き、新しい分野を切り開き、時代の変化に対応したいと思います。

 ここで70周年記念会のハイライト黒柳徹子さんとのエピソードをご披露します。
 講演を終えて、写真を撮るまでの間、控室に入っていただき、山本さん、持田さんの挨拶に続いて私がトットちゃんの挿絵に使われた、ちひろ美術館の松本猛館長さんとは大丸京都店で展覧会をさせて頂いたご縁で親しくさせていただいていますと申したところ、
 (1)ちひろ美術館は世田谷の本館、安曇野の新館も手狭になり、大変盛況である。
 (2)大丸ピーコック自由ケ丘店は、トットちゃんの学んだトモエ学園の跡です。
 「私が懐かしさの情に駆られて、車を運転して店の前を徐行して思い巡らせていた時、満車―満車と追いやられた事を本の中に入れた。これを読んだ大丸の幹部のお嬢さんがお父さんに訴えた。大丸より手土産持参で謝りに来られた。お菓子と早とちりしてスタッフを集めたところ、中から出てきたのは牛肉の味噌漬であった。これまた話題になり、今度はお菓子とトモエ学園記念碑を建てられては、と一坪の土地を提供したいとの提案があった。早速卒業生にはかりこの申し出を受け入れ、現在立派な碑が立っている」
 翌日見てきました。銘文に次の様に刻まれていました。

Notre Haore de Liberte et de Creation
   自由と創造の我が母港

 1928(昭和3)年、手塚岸衛は、泉湧き老松を仰ぎ見るこの丘に小学校と幼稚園を創設、自由が丘学園と名づけた。
 自由が丘の駅名と地名は、この学園名に由来する。
 手塚は大正から昭和にかけ自由教育を唱導し、この地に理想の結実をめざしたが、1936年秋志半ばにして没した。
 1937年小林(金子)宗作は手塚のあとを受け、ここに「トモエ学園」をおこし"リトミックによる創造教育"を実践した。
 1945年戦災により学園は焼失したが、戦後、幼稚園は復興し、1963年小林の死去に至るまで、その教育は続けられた。
 私たちこの地に学び育まれた者は、ここに行われた教育が、時をこえて生き続けることを願い、恩師への敬愛と感謝の思いをこめて、この碑を立てる。
 1988年4月
  自由が丘学園小学校
              同窓生並びに関係者一同
  トモエ学園小学校


東京クラブ「70周年記念会」を終えて

        実行委員長 持田 二郎
 去る2月17日(土)、東京YMCAに於て行われた当クラブの70周年記念会は、IBCである台北アルファクラブより6名、ソウルクラブより8名、香港クラブよりの2名を加え、日本の各地より総勢267名の参加者が一同に会し、盛大に行われました。
 特に今回の記念会は70周年記念を祝う会だけでなく
(1)バングラデシュ・ビルシリYMCAの事業である「ダハパラ診療所」の理解と支援が目的であること(献金100万円)
(2)東京YMCAを側面から支える私たちワイズメンが、スペースが狭く不便を感じましたが、一同に会しワイズダム発展を共に語り合う機会を持てること。
(3)私達と同じように世界各地を訪問され、恵まれない子供達のために献身的なご活躍をされているユニセフ親善大使17年の黒柳徹子姉をお迎えしての意義ある記念講演「子供達に愛を込めて」を行うこと。講演の中で姉が自分のためだけでなく、他者に奉仕する心、また人間の生命の尊さを語ってくれました。参加者の心に感動を与えてくれました。  翌18日(日)にはIBC、DBCのクラブの方々の他、数クラブのメンバーと共に合同れ会を持ち、昼食を共にしながら、隅田川「船の旅」を満喫しながら交流を十分に深める事が出来ました。
 この記念会が成功裡に終わったのも、クラブの皆様のご協力があった事は勿論ですが、特に山中会長、庄司副委員長、松田事業委員長、郡山式典委員長、黒岩記念誌委員長、吉岡書記、東矢会計、それに加えて素晴らしいゲスト・スピーカーの招聘に尽力された山本の諸兄には、この場を借りてお礼申し上げます。私達東京クラブはこれで一安心するのではなく、むしろこれを起点としてこれからの5年、10年、50年先を見据えてのワイズダム発展のための第一歩としたいと願うものであります。最後に関係者、参加者一同に心からの感謝の意を表します。


東京クラブ70周年記念会

        田中 眞
 東京クラブ70周年記念会は、2月17日(土)東京YMCAで開催された。IBC台北6名、ソウル8名、香港2名、DBC京都キャピタル16名、西日本区11名、その他合計264名の参加を得て、盛大に行われた。
 第1部記念礼拝は、司会黒岩恭浩、説教は東京クラブ員の古屋博規牧師が「もうひとつの生命」と題して、感銘あるメセージであった。献金は「ユニセフの為」に捧げられた。
 第2部記念例会は、司会細川剛、東京クラブ山中秀男会長の歓迎挨拶、服部幸一東日本区理事、小川圭一東新部長、新堀邦司東京YMCA総主事、来賓祝辞があり、記念事業報告・バングラデシュ北東部ダハパラ診療所の経常費として、金100万円を新堀邦司東京YMCA総主事に贈呈した。東京クラブ会員が、東京クラブ70周年記念事業の為、160万円の募金の一部であり、国際Endowment Fundへ5万円、東日本区基金へ5万円を献金した。
 第3部記念講演は、「子供たちに愛をこめて」と題してユニセフ親善大使17年の黒柳徹子さんが、大使として訪問した各国の子供達の状況の報告は、誠に感銘を与える内容であった。
 1階ホールで、参加者全員の記念撮影があり、この写真は、後日発行の記念誌に、掲載各人に送付の予定である。
 第4部記念祝会は、司会小林正樹、東京メネットクラブ山中ちあき会長の挨拶、京都キャピタルクラブ森常夫会長のスピーチ、東京YMCAリーダーによる記念事業、バングラデシュ北東部ダハパラ診療所について、スライドを交えて、解説があった。来会者、クラブ紹介はり、礼拝献金約180,000円、5,000韓国ウオンが、ユニセフに捧げられた。
 参加者一同は、食卓を囲み、杯をあげて、歓談の楽しい時をもちつつ東京クラブ70周年を祝った。


東京ワイズメンズクラブ70周年記念会

        高橋 章
 東京ワイズメンズクラブ70周年記念会は2001年2月17日東京YMCAで開催された。
 当日の出席は267名であり、遠く外国から韓国のソウル、そして香港、国内からは京都キャピタルワイズメンズクラブの会員をお迎えし、その他の各組織からお客様との交流を深める有意義な一日となった。
 プログラム内容は第一部は記念礼拝として東京ワイズメンズクラブのいままでの活動に感謝し、これからの未来の活動に対して神からの導きを祈った。古屋博規牧師による「もうひとつの生命」と題した説教が語られ、献金は「ユニセフの為」に献げられた。第二部は記念例会として東京ワイズメンズクラブ山中秀男会長により、いままでのワイズメンズクラブの歴史が語られ、歓迎挨拶、来賓祝辞、記念事業報告・贈呈式が行われた。第三部として記念講演会がユニセフ親善大使を17年間続けている黒柳徹子さんによって『子どもたちに愛を込めて』と題してアフリカの子どもたちの現状について語られた。講演内容は飢餓や戦乱に苦しむアフリカの子どもたちの生きる姿勢について学ばされた黒柳徹子さんの体験に基づいた話に聴衆は深い感動を覚えた。第四部は記念祝会で立食をしながら記念事業プレゼンテーション、来会者紹介、クラブ紹介、スピーチ、アトラクション、礼拝献金贈呈先発表、アピール、YMCAの歌を歌い、閉会挨拶で会を閉じた。
 特にプログラムのなかで東京YMCAのパートーナーシップをもつバングラデッシュのダハパラ診療所支援プロジェクトに東京ワイズメンズクラブが70周年記念事業として支援したことは今回の東京ワイズメンズクラブ70周年記念会にふさわしい内容であった。
 私はこの記念会に参加して中国の諺にある温故知新とライホルド・ニーバーの祈りを強く思い浮かべました。つまり、過去の歴史の経験をいかし、新しい時代を切り開いていく役割を東京ワイズメンズクラブが与えられていること、またこの課題にワイズメンのスピリットをもって果敢に挑戦していく勇気が神によって与えられるようにと祈りつつ過ごした一日であった。


香港のフンさんなどから礼状

 70周年記念会に出席された 香港クラブのダレル ユンさん、カリー フンさんより礼状が届きました。
なお ソールクラブ、台北クラブの方々も大変 喜んで帰国されました。
 香港、ソウル、台北各IBCクラブ、ご出席頂いたクラブ、祝金、祝電頂いた国内東西各クラブにも礼状とスナップ写真送りました。

Dear Mr.Yamanaka:

Y's men Darrel and I had a smooth transit from the Korean Centre YMCA to Narita and we arrived in Hong Kong 30 minutes earlier. I must say our trip to Tokyo was most pleasant, thanks to the overwhelming hospitality of you and member of your club.
The celebration parties were successful and we very much enjoyed the good foods and fellowship throughout.
We are particularly grateful to you and Mr. Yoshioka for going all the way to Narita to pick us upon our arrival.
Certainly, the tour in your companionship on the Sunday afternoon was extremely enjoyable and I dearly love the Kabuki-shows. Your Sushi dinner at the restaurant at Daimaru was excellent for which we are most grateful.
Meanwhile I should be most grateful if you would kindly arrange to send me a few photos at your celebration parties so that I can show them to our members. My office address: 43rd. Floor Gloucester Building, the Landmark, 11 Pedder's street. Central, Hong Kong.

The Y's Men's club of Hong Kong will be celebrating its 70th. Anniversary next year. The date of the ceremony and celebration has not yet been fixed, but it should be sometime in April/ May 2002.
On behalf of our club, may I extend an early invitation to you and all your members to that occasion. An official invitation will be sent to you once the organization committee has finished the details.

Once again, thank you very much for kind hospitality which I look forward to reciprocate in future in Hong Kong.

With best personal regards to and all your members.

Y'sly yours, Cary Fung
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拝啓:
山中秀男会長殿

 ご心配お掛けしましたが、韓国YMCAホテルから成田空港へはエクスプレスでスムースに行き、香港にも30分早く到着しました。
 今回の東京での滞在は素晴らしいの一語に尽きます。東京クラブノ皆様から頂いた心のこもったおもてなしには感激しました。
 70周年記念会は立派でした、食事も上々、何にも増して感動しましたのは皆様の友情です。特に、吉岡さんと貴方には成田空港への到着に合わせてお出迎えいただき、土地不案内の東京で韓国ホテル迄送って頂きました、最初の嬉しい感激でした。
 日曜日の午後楽しかったクルージングの後、秋葉原、皇居、ソニービルに案内頂き、歌舞伎も興味津々楽しませて頂きました。大丸レストラン街のカウンターでご馳走になった寿司の味も忘れられません。
 茲でお願いがあるのですが70周年記念会と祝会の写真数枚送って頂けないでしょうか、香港クラブの会員にもご披露したいと思います。

 香港クラブも来年70周年を迎え祝会をする予定です。この祝会には皆様是非お揃いでお越し下さい。事業委員会が詳細詰めましてから正式の招待状送らせて頂きます。
 再度有難うございました、香港で来年今回東京クラブから頂いた素晴らしいおもてなしのお返しをさせて下さい。皆様のお越しをお待ちします。
 敬具                カレー・フン