バンコック・台中の旅

                   佐藤 謙蔵
 8月24日から26日にかけて台中市で開催された,第19回アジア大会のツアーの中に、バンコックのエイズ孤児ケアセンー、ハッピーホーム落成式参加が含まれたグループがあり出かけました。ハッピーホームの建設は数年来タイではHIV感染者やエイズ患者の親が亡くなり孤児になった子供たちの問題も深刻化していて、バンコックYMCA Foundationから2年半位前に横浜の吉田登メン(現つくる会代表)の下に援助の要請があり、種々問題もあったが克服し、現在の"バンコックにエイズ孤児ケアセンターをつくる会"が発足、20Km離れたナコンパトムに約3000坪のが土地与えられ、昨年暮の第1期2棟に続いて第2期3棟計5棟のハピーホームが落成し、当初の計画100人収容の2階建て建設に向かって歩み始める感謝と希望の会でありました。アジア経済の不況の最中でもあり、小さな額でも多くの支援が望ましい。落成式の後、カンチャナブリまで足を伸ばし死の鉄道建設と当時言われた泰緬鉄道のクワイ河に架かる戦場の橋とその傍にある博物餡を見て、多くの犠牲があったことを偲びました。
 台中へは23日、前夜祭が終わった会場のホテルに到着し、翌日に別グループの露崎ご夫妻や佐藤茂美さん、磯田さん達と大会会場のNew Palace Restaurant(新天地餐庁)の大会場で合い、台北αクラブの黄(pump)さん、趙(Doc)さん、今年2回目の会長、陳(Telephone)さん、前会長の鐘(Crab)さん=有名内科医の肩書き以外に、牧師の資格を持っていて大会中の聖日礼拝を担当された=他メネット計参加9名の方々と同席、夜の市長晩餐会も共にテーブルを囲んだ。大会では台北セントラルの粛東浩David hsiao 氏の次期アジア会長の引継ぎに続いて、基調講演は現台湾総督府の副総統である呂秀蓮Lu Hsiu-lien) 女史が行い、Ysについて良く勉強し、理解された内容で奉仕についての権利と義務を語られ、盲目ピアニスト許哲誠Tse-Chen Hsu青年の演奏と共に会衆を魅了しました。夜の市長主催の晩餐会には演奏旅行中の神戸の約30人の男性合唱団が10曲も美声を披露され圧巻でした。
 大会と晩餐会の間に甲府クラブと台南クラブのIBC締結式が行われた。
 2日目はアジア地域の状況報告がなされその貢献度が示された。

 アジア(A)世界(B)貢献度(A/B)
クラブ数4721,46432.24%
会員数9,66727,92734.61%
ASF(US$)9,788.0513,470.4972.66%
BF(US$)80,668.58156,677.4051.48%
EF(US$)21,155.7658,668.58 36.05%
TOF(US$)61,499.58175,235.5835.09%

 その後各事業毎のワークショップに続いて、10時から3組に分かれバスにてのアウティングで趙さん達と地震被害地、豊原市郊外の水源地の上流地域の川沿いに既に桜の木が植えられていて記念碑の除幕式があり、碑に刻まれた名前は西日本の方々が殆どで、その為の募金は東日本区大会の時あったようですが、された方は順次刻まれて行く様です。植樹の後、急に大粒の雨に見舞われ急いでバスに乗り込み。そして昼食後、朝の場所から少し下流の水源地ダムの1部が地震により約16Mの段差が出来ての破損は痛ましく修復まで未だ2年位は必要とのこと。その震度の大きさを知らされた。
 アジア会長晩餐会では昨年度の部長で活躍した方への賞、エルマークロウ賞が発表され、東日本区では吉田明弘前あずさ部長に与えられた。尚出席者は総数で640名その内に日本からは210名(東110名、西100名)であったようです。
 帰りはバスにて台北1泊にて立ち寄り、故宮や慰霊廟前での衛兵直立不動の姿、総統府、龍安寺、中正記念堂を垣間見ての帰国となりました。