これぞYMCA

古屋博規

 7月14日、新潟県見附市で発生した洪水が、一瞬のうちに民家をのみつくした大災害のニュースを見て、とっさに私の友人の和泉啓三牧師の(今年転任したばかり)見附教会に連絡をしました。和泉牧師の「会堂、牧師館共に冠水50センチ……」との声に、被害の大きさを感じ、祈祷会で祈り合いました。
 1週間後、横浜北YMCAを通じ「神奈川災害ボランティアネットワーク事務局」が新潟水害救援ボランティア協力を求めていることを知り、妻も私も早速7月23−24日までの一泊二日、東京Yボランティアワーカーとして登録しました。横浜駅を夜11時のバスで最も被害が大きかった中之島地区(中之島・見附)に向けて出発しました。老若男女60名、車内のビデオで、昨日までの現地の状況と作業手順を確認しながら、第2番目の休憩地点越後川口に午前3時到着、朝7時までサービスエリヤで仮眠し、8時に見附市に入り中之島水害ボランティアセンターで登録するため1グループ10人に分かれ、その日の派遣を待ちます。このボランティアセンター(NPO,NGO)のシステムは、阪神大震災の復興支援にあたった、YMCAの故草地賢一氏のつくられた働きによって立ち上がっているそうです。ボランティアに必要なのは、復興への情熱を絶やさず、今ここで何が必要か、常に情報をとらえています。


[現場に入る筆者夫妻(左端の2人)]

 中之島地区商店街(約40店舗)が、1メートルを超える床上浸水で大量の泥に襲われました。私たちは、140年続いた織物業を営んでいる方の2階まで冠水した建物に向かう事になりました。センターで、それぞれに必要と思われる、一輪車、バケツ、スコップ、ペットボトルを頂き、歩いて15分。待っておられたご主人の案内で、作業場に入ります。自動織機は全損、10人ずつに分かれ、埋まっている泥を土嚢袋に入れる作業が始まります。長野県消防学校の職員の方々も加わり、昨日まで70センチ溜まっていた所を、スコップで一かき一かき袋に詰めては運びます。飛び散る汗、泥から出る汚臭、崩れない泥の山、「10分仕事、15分休憩をとらないとバテるぞ」と消防学校リーダーの声。無理をしないで、もとの状態に返るように、願いを込めてワークします。
 人は、水を補給しても、保水効果のある飲料水がないと脱水症状になるそうです。塩の効き目を感じながら頂いた「うめぼし」は格別でした。おにぎり2個が配給され昼食休憩の後、私たちは撤収まで母屋の泥をかき出し、午後3時まで作業。長靴の泥落とし、消毒、着替えでホッとひと息をつきました。洗い場4箇所でタオルを配る子どもたちや、コップを渡し、うがいをうながす町の方々の声を聞きながら、冷たい麦茶、パンを頂きました。「お疲れさまでした」と声かける人々の姿を通して、私は地域住民が一体となり、「見劣りのする部分をいっそう(コリント12:24)」引き立てて励ましあっているおひとりおひとりに、神の力をいっぱい受けて下さいと祈りつつ新潟を後にしました。