南インドの風を受けて

山本 和

 この8月にワイズメンズクラブ国際大会が開催された南インドのケララ州コーチン(いまはコーチとも言う)は、私にとって特別の想いがある。1960年3月、私が大学の3年生を終えた春休みに、生まれて始めて外国に行く機会が与えられた地が南インドであり、コーチンにもはるばる行ったからだ。しかも一般の渡航が制限され簡単でなかったその当時、ぜひ行っていらっしゃいと励まして南インドの学生クリスチャン運動(SCM)の指導者に紹介の労をとって下さったのが後に日本YMCA同盟の総主事などをされた大和久泰太郎さんであったということは、こうしていまYMCAやワイズに関わるようになった私にとってとりわけ感慨深いものがある。
 始めての「外国」インドは、私にとって大変衝撃的であった。外国の文化や社会というものはこんなにも違うのかという驚きと発見の連続に明け暮れた4週間近い旅であった。とくにケララ州はヒンズー教の影響が圧倒的なインドにおいて、キリスト教人口が極めて多い、教育水準・識字率が高い、民主的選挙で共産党州政府が誕生した経験を持つ、など非常に特徴のある所であった。紀元1世紀にアラビア海経由でイエスの12弟子の一人トマスがこの地に渡来して自ら宣教したと伝えられている。帰国した私は卒論のテーマとしてケララ州の経済・社会構造を取上げた。いま想えばあの南インドへの旅は、私のその後の人生や選択に直接間接に少なからず影響を与えたに違いない。
 今回40数年ぶりにこの地を訪れて、何とも言えない懐かしさとともに感じたことは、自分達の周囲の貧しい隣人のためにニーズに合ったコミュニティーサービスを実行することが、ワイズ個人としてもクラブやより広範なワイズの組織としてもやるべきことであるという考え方がこの地域のワイズメンの根底に脈々として流れていることである。


[ガンジーが植樹したマンゴ樹の前で]

 国際大会が始まる前日、私は家内とともにコーチン空港の近くにあるユニオン・クリスチャン・カレッジという小さな大学を訪れた。この大学は1921年にケララ州出身のインド人のイニシアティブによって設立されたインドで始めてのインド人によるキリスト教超教派の大学である。特にカスト制度のもとで弱い立場にある人たちや女性たちにキリスト教主義に基づいた教育の機会をあたえることを意識して運営されているとのことであり、設立後まもなく献学の理念に共感して、あのマハトマ・ガンジーや詩人タゴールが訪れて力になったという。こぢんまりした校庭の一角にはガンジー自らが1925年に訪れた記念として植樹したマンゴの樹がしっかりと根付いていた。
 社会奉仕をやる組織は多いが、ワイズメンこそ、各々が置かれたコミュニティのニーズが何なのかを見極めて、奉仕活動に関わることによって、社会に認知される貢献ができる存在になるべきであるという主張がこのコーチンの大会において折に触れ強調されていたが、そう主張する根拠がこの南インドの歴史にはあるに違いないと感じさせられた。実践に裏付けられた「南インドの風」を世界のワイズメンが大いに受けて、自らのあり方を見直すことは大変意義あることではないだろうか。
(2004.8.15記)