ワイズとしての願い

辻村 克己

 今年の9月に教会の修養会で東山荘を訪れ、入口を入ったところでハッとした。左手に懐かしい暖炉とその上にYMCAの正章の木彫りがあり、前に長椅子がコの字に置かれていたからである。これは1990年に建て直された神田の第三代会館から今年移されたもので201号室の正面にあったことを記憶しておられる方は多いと思う。しかし、私が思い出したのは関東大震災後1929年に建設された第二代会館にあった暖炉で、会員の強い要望でそれがそのまま第三代会館に残された。


[第三代会館の暖炉]

 1844年ロンドンでジョージ・ウイリアムズが祈りつつ同志を集め、YMCAの基礎を据え、5年後に会館を開設、入口の階段を登ると広間があり、落ち着いたテーブル、ソファーが上品に配置されていて、主な新聞と各国からの雑誌が置いてあり、会員が交流していたという。
 神田の第二代会館の正面入口を入った右手奥、三段登ったところに壁も床も楢材で、どっしりとした感じの会員ロビーがあり、三越に特注したという立派な革製のソファーが並べられ、その正面に暖炉があった。ここで先輩たちのお話を伺うことができたし、会員同士の活発な話し合いが行われていた。
 この両者は非常に良く似ており、広間においてフェローシップのあり方を学ぶことがYMCAの活力の源となっていたと思われる。この会員ロビーが1968年に集会室となり、理事会(現在の常議員会)がここで行われていた。理事長は湯浅恭三先生で小林喜一、五十嵐丈夫氏などの大先輩に交じって新米の私も出席していた。
 ワイズメンズクラブの創立記念日は1922年11月22日で初代国際会長はポール・アレキサンダーであった。日本での最初のワイズ大阪クラブの国際加盟認証日は1928年11月10日、東京ワイズは1930年11月に設立協議会(1931年2月6日国際加盟)を開いている。11月という月はワイズに縁があるようである。
 1997年までワイズの日本区は一つであったが、区大会の出席者が500人を超えるようになり、会場の確保が難しくなったことから東と西に分かれ,一堂に集まることがなくなってしまった。しかし、東西の日本区が一緒に交流する機会を望む声も多く、来年2月東山荘で交流会を持つことが計画されているし、その折に京都キャピタルとのDBC会合も考えられている。由緒があり、懐かしい暖炉の前で話し合いが行われ、YMCAの基本原則やワイズの綱領と目的に従って、奉仕をし、行動する活力を示す良い実が結ばれることを願っている。