YMCAと私

茅野徹郎

 みなさんご承知のように、ワイズの会員として私はまだ3年生です。クラブの平均年齢を相当押し上げる年になってあえてメンバーにならせていただきましたのは、入会のご挨拶でも申し上げましたが、東京YMCAの運営の一端を仰せつかっている立場から考えて、やはりワイズを知らなければYMCA運動の全貌を把握・理解できないだろうという事でありました。これで欠落していた部分が完結した思いです。
 一昨年、ハイY結成50周年記念の集いが東山荘で行われ、ハイY結成の最初から参加していた私も出席いたしました。思えば、高校生の頃からYMCAと知り合ったわけですから本当に長い年月になります。戦争末期に父の故郷である山梨に帰り、そこで終戦を迎えましたが、価値観の大転換の中でキリスト教やYMCAの考え方は若者たちの心を魅了しました。ワークキャンプや修養会など県下の高校生の多くがハイY活動を共にいたしました。ICUの開校が遅れたので私は地方の国立大学に入り、そこで学Yに参加し、夏の東山荘での修養会でまだ健在のディーン・リーパーさんにお目にかかったのが大変印象的でした。一緒に撮った写真を大事にしています。ICUに入ってからYMCAとの間に長い長いブランクがあります。
 次にYMCAと出会ったのは25年前のアメリカにおいてです。アメリカYMCA同盟にNYPUMというプロジェクトがありました。これは National Youth Program Using Mini-bike の略ですが、ミニバイクを使って少年少女のドロップアウト(不登校児童)を再び学校に行かせるようにしようというプログラムです。不登校問題はいわば麻薬とかガン(銃)など諸悪の元になるものです。従って、この問題解決には様々な方法が試みられて真剣に対策がたてられてきました。その中で、子供達が関心を持ち継続的な効果があるのがミニバイクを使ったこのプログラムであるという結論になりました。
 実は、これはカリフォルニアのローカルYで日系アメリカ人フレッド・ホシヤマという人が熱心に推進していたプログラムでした。それが非常に成功したので全米の活動として取り上げられました。
 この計画をすすめるとなると大量のバイクが必要になり、オートバイ・メーカーである我が社にアプローチがありました。会社はローカルYの時からコンタクトがあり多少のお手伝いをしておりましたが、企業の社会貢献の一環としてこれに全面的に協力することになりました。これを引き継いだ私は、このプログラムの多様化や発展のため、アメリカYMCA同盟と密接なご縁ができたのです。
 15年前、10年の駐在を終えて帰国し、今回はYのドロップアウトにならず東京YMCAの会員となり監事・常議員という仕事をいただきご奉仕をしています。