思い出

鶴見典男

 私は大学に入学した年(1934年)、先輩に勧められて、東京YMCA山中湖学生キャンプに参加して以来、東京YMCAとの関わりを持つことになりました。1953年、私が東京クラブに入会したのは、当時の総主事木本茂三郎氏のご紹介からでした。クラブには、1931年以来のチャーターメンバー吉川重治氏と小林茂吉氏の両人が健在でした。
 この年の日本区大会は第8回名古屋大会で、長良川辺の景色の美しい場所で開催されました。私はこの大会には何の予備知識もなく参加したので、大会プログラムにはオドオドするばかりでした。ワイズ運動に熱を上げているYキチの多いのに驚きました。そして、このYキチの御主人を静かに支持しておられる奥様方の姿が印象的でした。奥様を同伴するということは、私が参加した2年前の大会で、「今後は必ずメネット同伴」とのことが決められていました。
 この頃のワイズの大会は、各地のワイズメンとの交流が主であったようで、それだけに楽しく、お互いが親しくなるようなプログラムが用意されていました。もちろん、ワイズの基本的な奉仕活動と事務連絡等は別の部屋でなされていて、大会の終了時には、新しいクラブの設立、BF達成、会員増強、海外クラブとの交流等が報告され、参加者一同の拍手の下に承認されました。
 私は日本区大会には、第8回の名古屋大会から第47回東京九段会館の大会までの間30回程参加しました。
 私のワイズ生活で一番思い出深いのは、何といっても東京クラブの10年毎の記念会です。私が最初に経験したのは、1962年の30周年記念会の時でした。それから、10年毎に記念会が開催され、その時の記念誌が記念誌委員会の努力によって作られました。これは現在、貴重な資料となっています。
 50周年記念式典は、1981年2月8日、参加者243名の方々と共に盛大にとり行なわれました。この時のYMCA会館前での記念写真を見ると、参加者はどなたも若々しく、東京クラブの面々はお揃いの白い帽子を被ったりして、嬉しさが溢れています。そして、バックの改築前のYMCAの建物は、今となっては、懐かしさで胸が締めつけられます。参加された方々に、記念として、サインを子羊の皮にお願いしました。この寄せ書きの写真が「東京クラブ創立50周年記念特集号」に載っていますが、これを見ていると、お一人お一人のお顔が浮かんできます。これもまた懐かしい思い出です。
 2001年の70周年記念会は、ゲストスピーカーが、かの有名な黒柳徹子氏でしたが、この時は海外のメン、日本各地のワイズメン、メネット264名のご参加がありました。私は車椅子での参加で、何のお手伝いも出来ませんでしたが、東京クラブの力強い団結を改めて感じました。