アロハ! 船乗り!?

長澤山泰

 なぜ、船乗りだったのに旅行会社を経営しているのかと時々聞かれるのですが、これには今から32年前に参加した豊中YMCAの中学生ハワイ国際キャンプがきっかけかもしれません。中学入学時から豊中Yで英語を学んでいたのですが、サマープログラムでハワイ国際キャンプがあることを知った母から参加を勧められ、中1で初めての海外渡航。その当時のハワイは今のように観光システム化されている時代と違い、ちょうどジャンボジェットが就航したての大量輸送時代幕開けの頃でしたから、ある意味で良き時代だったと思います。
 その時の体験からも、いずれは旅行会社を経営すれば、世界中に行けて面白そうかなと。そこで考えついたのが手っ取り早く高給で稼げそうな商船士官への道。昭和52年鳥羽商船高専・機関学科入学、鳥羽で4年間半の座学課程、NKK鶴見で3ヶ月間工場実習及び9ヶ月間の運輸省航海訓練所での練習船実習(遠洋航海は、東京〜ビクトリア〜バンクーバー〜ロングビーチ〜ブリスベン〜大連の3ヶ月間)を終え、昭和57年9月卒業と同時に日本石油グループの東京タンカー(株)へ3等機関士として入社。原油輸送専門船会社なので乗務は当然のごとくULCC(大型タンカー)。ULCCの士官部屋は、練習船の狭い居室とは桁外れに違い、広々としたカーペット敷きの部屋に机、電話、冷蔵庫、キングサイズベッド、シャワールームを備え、洒落たシティホテルの客室と見紛う程の作り。ULCC初乗船の際は、サロンボーイに部屋へ案内されたものの荷物を置いた後、再度入口扉上の「3RD ENGINEER」のプレートを確認したものでした。


[日石丸船上にて、釣り上げたキハダマグロとともに]

 4〜6ヶ月乗船で長期休暇(2〜4ヶ月)となり、休暇中は会社に内緒で近ツリの派遣添乗員として国内海外の添乗業務をこなし、初の海外添乗でハワイへ行きました。その後東京タンカー(株)を退職、旅行代理店で実務を習得、一般旅行業務取扱主任者資格を取り、人形町で開業。現在15年目。昨今はアジアへ出かけることが多いですが、機会があればIBCのハワイ・ヒロクラブも訪ね、交流を図りたいと思います。