ONCE MORE WE STAND

黒岩恭浩

 毎月、例会の冒頭に歌われているワイズソングの曲は、交響曲やヴァイオリン協奏曲の作曲者として有名なフィンランドのシベリウス(1865−1957)(写真)によって作られています。
 19世紀、フィンランドは帝政ロシアの支配下にあり、言論の自由を奪うなど厳しい圧政が行われ、世紀末には民族意識が高まり、民族的歴史劇の上演が計画されました。この歴史劇の音楽を作曲したのがシベリウスであり、後に改定されて交響詩「フィンランディア」(作品26)となりました。この中の「フィンランディア賛歌」の冒頭部分が美しいメロディーであって後に合唱曲に編曲され、フィンランドの第二の国歌として愛唱されるようになりました。私も大学の合唱団で男声合唱で歌ったこともありましたし、1954年、日本の讃美歌にも「安かれ、わが心よ」という歌詞で採り入れられ、教会でもよく歌われ近年の“讃美歌21”にも引き継がれています。
 1934年頃、ポール・アレキサンダーの作った詩“Once more we stand”にこの曲がつけられ、当初はワイズメンの愛唱歌の一つであったようです。1963年、東京山手クラブの淵田多穂理氏が「いざ立て」の訳詞を作られ、国際協会にも承認されました。淵田氏はYMCAの主事であり、「YMCAの歌」の作詞者でもあります。
 最後に、1964年、米国コロラド州エステス・パークで行われた第40回国際大会に出席した東京クラブの福田垂穂会長の報告を“日本ワイズメン運動70年史”から引用させてもらいます。
「大会最後の閉会式の中で歌われたクラブソング『いざ立て』はご承知のように平和の歌と呼ばれるフィンランディアのメロディーだ。<ここの空が青く澄んでいるようにどこの空も澄んでいるはずだ。ひとりの神のもとに世界中が結ばれている> そういった意味の歌を歌っている途中で、隣で歌っていたウィスコンシン出身の人が絶句してすすり泣きを始め、終った時に私の手をとり、『この歌がこんなに自分の心に響いたことはなかった。それはあなたが隣に立っているからだ』と言ったが、私も同じような気持で、大会を通してワイズダムが繋がるひとつの兄弟であることを感じた」