赤いサンタとライオンと喜一さん

庄司征彦

日本経済新聞の記事
(クリックで拡大)
小林喜一氏
「三代小林富次郎翁を偲ぶ」から
平成5年7月16日発刊
ライオン株式会社
 「今日(2006/12/23)の日経新聞に楽しいサンタの話が載っていました。ご覧になった方もいらっしゃると思いますが転載します。赤いサンタの生みの親は米国のトマス・ナスト。当初は赤い服を来ていたわけではなく、1881年頃から赤くなった。世界に広がるきっかけはコカコーラの広告。1950年代だったという。しかし日本は例外でこれより早く1916年12月のライオン歯磨きの新聞広告で。当時社長で創業者の小林富治郎(ママ)さんがクリスチャンだったからという。ご存知のように小林さんは東京ワイズメンズクラブのチャーターメンバー、 楽しい話です。」

 この文は昨年12月23日に私が皆様にメールしたものです。
 この中で私は2つの過ちを犯していました。チャーターメンバーの件は同姓の小林茂吉さん(三越)と勘違いしていたこと。もう一つは当時のライオン社長(小林商店責任者)は2代目小林富次郎氏、私たちの知っている小林喜一氏は3代目(1935-67年社長)、1956(年に富次郎を襲名、それまでは喜一です。
 東京クラブのメンバーとしての喜一の名前は私の手元の資料には1936年から見られます。また1979年姫路で行なわれた第34回日本区大会のあの体育館の食事の席で私は隣に座りました。
 この40数年の在籍期間中、1946年には東京クラブの会長、1951年第27回国際大会(クリーブランド)に出席、1956年第1回国際協議会(パリ)出席等幅広いワイズの活躍は彼の活動のごく一部。本業は言うにおよばず、東京YMCAの強力なメンバーであり、1951年から61年まで理事長。永年にわたって野尻キャンプ場設立等に力を注ぎ、氏と総主事木本茂三郎氏、五十嵐丈夫氏は東京YMCAの御三家と謳われています。
 弓町本郷教会でも有力な一員。ロータリークラブでも活躍、日本ギデオン協会を設立。ゴルフ、ボーリングをこよなく愛する「喜一さん」として知られている素敵な先輩です。