香港で国際大会

        会長 山中 秀男
 ワイズメンズ・クラブ国際大会が8月3日(木)から6日(日)まで香港コンベンション・センターで行われた。中国への返還式典の会場として一躍有名になったところ。
 出席者総数782名、国別出席者を見ると、Y's運動の潮流変化が分かり、今年ほど世代交代、国別主役交代を印象づけた大会はない。
▽アフリカ15(カメルーン4、ナイジェリア3、ケニア2、ガーナ6)
▽アジア500(日本196、韓国63、マレーシア3、フィリピン23、香港137、ミャンマー3、タイ1、台湾71、シンガポール3)
▽北米61(米国47、カナダ14)
▽ヨーロッパ137(スイス2、デンマーク93、ドイツ2、フィンランド4、ノルウエー20、スウェーデン14、ポーランド2)
▽インド19
▽ラテンアメリカ、カリブ海18(ブラジル1、アルバ3、バルバドス6、ウルグアイ4、ジャマイカ4)
▽オーストラリア32
 この内訳で見るように、圧倒的にアジアが多く、中でも日本はホスト国香港より多い196名の参加で、全体の25%を占める。
 従来の恥ずかしがり屋、シャイな日本ではなく、日本のリーダーシップが世界でも通用する指導力を発揮した大会でもあった。
 大会ホスト委員長は元香港クラブ会長ケネス・シット氏。チーフマーシャルはおなじみトニー・チャン氏。親近感のある大会であった。
 初日の基調スピーチは、香港サイドから、香港の世界の将来は21世紀をになう若者にかかっており、特に香港では政庁が若者育成プログラム、国際交流に最優先の政策遂行順位を付けている。Y's運動の推進には大変良い環境が造られていると報告があった。
 3年前に開港した新国際空港(ランタオ島)は成田、関空よりも大きく、アジアの中心ハブ空港として貫録を示し、中国返還後も経済への影響は少なく、意気軒高を感じる。
 アジアYMCA同盟理事長・谷川寛氏(大阪センテニアル)も基調演説第一グループで登場した。Y's、YMCAのパートナーシップを強調し、ゴールデン・アニバーサリー基金を5年計画で1000万ドルを目標にしYMCAを支援しようと呼びかけた。
 大会初日の夜はアウォード・ナイト。エルマー・クロウ賞が東日本区あずさ部中村博氏に授与され、バレンタイン賞と続き、香港名物の龍踊りをはさんで大阪クラブ三井メンの100歳誕生会。国際大会出席12回を祝すキャンドルサービスが行われた。三井メンはこれを受けて100歳と思えぬ力強さで、13歳の時、英語学校(YMCA)での勉強から、自身生涯のモットー「最善の努力、自己啓発」を開陳してスピーチを締めくくり、万雷の拍手を浴びた。
 ユースコンボケーションも29カ国、149名の参加があり、エイズ、国際紛争、難民など国際政治の悲劇が、主に発展途上国の深刻な状況報告と相まって活発に論議され、大会スローガン『Say No! to violence』。全員がスローガン・プリントのTシャツを着て盛り上げていた。

 大会2日目、4日(金)は、Y's国際専務理事を1984年から務めてきたイングバール・ワリン氏の今期限りの引退が発表され、代わって次期専務理事選考委員会で氏名されたロランド・ダルマス氏の就任が発表された。ダルマス氏は南米ウルグアイ出身。世界YMCA同盟で25年勤務。1972年、ワイズメンとなり、そのクラブの会長も務めて今日に至っている。彼はアジアの発展、アジアY's運動の活発さに注目し、ここから大いに学び国際の活性化につなげたいと抱負を述べた。
 大会で注目された項目にY'sパブリシティがある。元国際会長エリック・キム氏の持論で、ロータリー、ライオンズに比べて地味で積極的に取り組まないことに警鐘を鳴らした。
 ロータリー、ライオンズは説明を要しない知名度があるが、Y'sを知っている人は極く珍しい。我々がしている事を素直に世に問い、訴える事でYMCA、Y's共々に存在をアピールする事が出来る。これが両者の会員増強に連なり、社会奉仕貢献の強化にもなると。
 マニュアルも新しく出来上がった。『Let your light shine』を標題にしている。Y'sのイベント、事業、クリスマスツリー、カード、音楽、スポーツ、周年事業のアピールは当然としてユニークな事例が各国より報告された。
 [ラスベガス・ナイト]ラスベガス・ギャンブルを開催して、その賞金をYMCAに寄付する。米国に多いやり方だ。
 [Y's men at church]同一地域のY'sメンが年1回こぞって順番に会員の教会で礼拝し、牧師から紹介と共に献金もして地域の知名度を上げる。
 Y'sのホームページを開設し、英訳、スペイン語訳などを付けて交流する、といったアイデアもあった。不言実行ではなく、有言実行でいこうというものだ。
 メネット活動も千差万別だ。1972年、Y'sメンは男性に限ると規定されたが、今では女性メンも多く、女性だけのクラブも随所に出来、メネット会もメンをサポートするだけの会でなく、独立した活動をしている所が増えてきた。今年度のY's国際メネット事業主任は我がブラザー・クラブ、ベンディゴ出身のブレンダ・ベリー女性。今年度の方針としてY'sメンとのコミュニケーションを良くし、国内外を通じてシスター・クラブ提携を呼び掛けた。ベンディゴのメネット会はメンから独立しており、メンの活動に理解を示しつつ、独自の行動をしている。
 2日目(4日・金)の夜はインターナショナル・ナイト。国・地域別の歌、踊り、民族衣裳ファッション・ショー、香港YMCA子供劇団によるミュージカル・ショーもあった。
 大会3日目(5日・土)はアジア、欧州、アフリカなど地域別会議に続き新国際会長デール・ファーザーリンガム氏の就任スピーチ『Equiped for a purpose(目的に向かって万全の備えをしよう)』。キリストの教えを基調に、目的と目標を明確にし、その為の組織、運営、リーダーシップに磨きをかけよう、と訴えた。
 16年前、デールとメネット、ジーン夫妻がBF代表で我が家にホームステイして頂いたお陰で大会中に何度も政治、経済、家族の事まで話し合った。当時の事を細かく覚えており、ゆっくり休んでもらうため、何の予定も立てなかったのを「No engagement is the best hospitality.(自由にさせていただいて有難う)」とお礼を云われた。
 3日目の夜は会長主催のディナー・舞踏会。12時過ぎまで盛り上がった。
 最終日4日目(6日・日)は閉会式に続いて2年後の2002年シドニー大会へのアピールがベンディゴからの7名を含むオール・オーストラリアンが登場して派手に行われた。
 ベンディゴの面々とは記念写真をとり、バッジ、バナーを交換し、次回シドニーでの再会を約した。ベンディゴのブリテン担当『マック』と最年少の『デビッド』からホームページ、ブリテンの英訳を頼まれた。
 閉会式後、香港クラブよりランチの招待を受け、アバディーンの海上レストラン「ジャンボ」で香港のブラザークラブ、フィリピンのマニラ・ダウンタウン、台北ダウンタウン両クラブと共にランチをご馳走になった。
 ベンディゴの元国際会長アーサー・コウリング氏は大会直前に心臓発作で来られなくなり、初日に出席者全員で快復を祈願して黙祷をささげた。
 ハワイ・ヒロ・クラブからは会長のロイ・石井氏が出席、台北アルファ、ソウルは出席なし。インド・キルポック・クラブの消息も少しわかった。現在も存在しているが、活動は不活発で会員がどんどん流出していると。
[東京クラブからの出席者]メン=佐藤(一)、佐藤(謙)、佐藤(茂)、庄司、露崎、松本(良)、山中、吉岡(8名)
メネット=磯田、上原、佐藤(登)、露崎、中冨、松本(倫)、山中、吉岡(8名)